PART3 医師・医療機関の反応・対応は複雑

医師たちも自己負担増を気にする患者の存在は無視できない

 「点数誘導で後発品ばかり使われるようになったら、経済的に先発メーカーの開発力は確実に落ちる。新薬の出現を千秋の思いで待っている患者は大勢いる。バランスが大切だ」と、ある病院医師は、今回の処方せん様式の変更に対する国の政策に懸念を示す。
 また、「患者さまのためと言うが、誰が儲かるのか。安さだけを強調するコマーシャルはあまりにもひどいし、国が医療費削減の旗印にしているのも鼻につく。薬局にとっても在庫面で負担が大きく、いいことは一つもないのではないか」と、ある歯科診療所医師も憤りを隠さない。それでも「患者からどうしても薬代を安くしたいと言われば(仕方ないので)署名する」とも答える。
 ある病院医師も「患者さんの希望に添って要望があれば、治験などの特別な理由がないかぎり、変更可にしている」と話す。
 後発医薬品の品質に対する不信感が払拭されていないなか、自己負担増を気にする患者の存在は無視できず、好むと好まざるにかかわらず、代替調剤に取り組まざるを得ない医師は多いようだ。
 だが、実際には「後発医薬品のない処方、あるいはすでに後発医薬品を処方しているケースも多く、“変更可”にする実効性が乏しいため、診療時には説明も署名もしていない」という医師も少なくない。
 また、医療機関のなかには経営的な視点から「すべての処方せんに署名する」方針を掲げる病院も多いものの、代替調剤に関する患者への説明は行われておらず、薬局まかせにしているところがほとんどだ。

代替調剤に対応するのは医療機関ではなく「薬局の仕事」

 こうした主治医や医療機関の対応の結果、署名入りの処方せんを発行されても気づかない患者が多い。また、コマーシャルで薬代が安くなることは知っているが、実際の仕組みがわからず、「制度を活用したくても手立てがない」という不満の声も強い。その苛立ちは、「薬局でも患者の希望により選べることを口頭や掲示などでもっと知らせてほしい」と、保険薬局にも向けられる。
 では、医師たちはなぜ患者に説明しないのか――。第1に多くの医師が、それは「薬局の仕事」だと捉えているからのようだ。ある病院医師も「説明は信頼する薬剤師にすべてまかせている。そうなることが国の目論見なのでは?」と、逆にこちらに疑問を投げ返す。
 第2に、限られた外来時間のなかで、医師たちには代替調剤の説明を行っている余裕はないということ。「高齢者の場合、治療方針や病状を説明し、それを理解してもらうのにも時間がかかる。そのうえ代替調剤の説明までやっていると、何時になっても外来は終わらない。そこまで医師に要求するのは酷」と、ある病院ナースは言い切る。

主治医への信頼が深いほど患者は後発医薬品の判断ができない

 しかし、患者は「後発医薬品に変更できる」ことを、薬局に来て薬剤師から初めて知らされると、主治医に対する不信感を抱きやすい。医師や医療機関は、このような患者の心の変化に気づいていないようだが、最近は、あちこちでよく聞かれる話だ。
 ある薬局薬剤師も、そのような場面に遭遇。医師と患者の信頼関係を損ねることにもなりかねないと危機感を感じる一方で、主治医への信頼が深ければ深いほど、医師からのインフォメーションがなければ、薬剤師が一生懸命説明しても、患者は後発医薬品の選択を判断しがたいことを痛感した。そこで医師に、「一言でも構わないので、患者さんに後発医薬品に変更できることを伝えてほしい」と依頼したそうだ。
 「後発医薬品に変更しますか?」と意向を確認しても、「医師の処方どおりにしてください」という患者、あるいは「医師の処方を薬剤師が勝手に替えてもいいのか」と怒る患者の反応は、医師の処方に対する信頼のあらわれであると同時に、前触れもなく放り出された挙げ句、判断を迫られてパニックに陥る患者心理をあらわしているといえないか。

責任ある対応をするには医師との対話や連携がより重要に

 また、こんなトラブルもある。ある薬局では患者の希望により後発医薬品に変更したところ、主治医から「薬が効かなかった」とクレームがきた。その結果、医師主導で他のメーカーの後発医薬品に切り替えたという。「メーカーから提供される先発医薬品との比較資料だけでは情報不十分な場合があるということを認識した」と、薬剤師は、この出来事を振り返る。
 こうした薬局の状況を知る病院薬剤師は、「どのような後発医薬品に変更しても制度上は問題ないということになっている。だが、トラブルは完全には回避できない。変更での病院(医師)の手間はそれほどかからないが、処方せんを受ける薬局は難しい対応を迫られているのではないか」と懸念する。
 患者が安全で効果のある薬を選ぶうえで薬剤師の責任は重く、今まで以上に医師との対話や連携が重要になってくるということだろう。